わざわざ自分でつくった料理を写真に撮ることが、めっきりなくなってしまったので、手元に残っているのは、もう何年も前に撮ったこの写真くらいしかないのですが、基本的には自炊をしています。
ひとり暮らしをはじめてから、自炊をしなかった期間はわりと長く、本当にたまーに「料理をするぞ!」という謎のやる気がやってくるくらい。
気づくと、調味料の賞味期限が切れているものばかりで、使えるものがほとんどない、という状態でした。
だから、いざ料理をしようとすると、毎回のように調味料を買い直さなければならなくて、それがまた面倒になる。
そんなことを繰り返していたのです。
そんなわたしが料理をするようになったのは、なんとなく料理教室に通い出したことがきっかけです。
最初は正直、料理をしている自分に、少し酔っていただけでした。
でも、つづけていくうちに、ひとつ気づいたことがあります。
それは、自分のために料理をすることで、心が潤い、満たされていく、ということでした。
自分のために料理をするようになって、自分が愛おしくなった
「料理が好き」と言うと、驚かれることも多いのですが、料理が好きだと言えるのは、きっと、それが義務じゃないからだと思っています。
そして毎回つけたすのは、「好きだけど得意じゃない」というひと言。
本当にわたしは、料理がけっして得意ではありません。
つくりたければつくるし、つくりたくなかったらつくらない。
ただ、つくらない日がつづくと、なんだか心がざわざわしてくる。物足りない感じがしてくるのです。
それは、自分のために料理をすることで、心が満たされることを、もう知ってしまったから。
料理って、やっぱりものすごく面倒ですよね。
何をつくるか考えて、買い物にいって、下ごしらえをして、調理をする。食べ終われば、食器や調理道具の後片付けも待っています。
これだけの手間をかけて、自分のためにごはんをつくるというのは、自分に愛情をどっぷりと注いでいるということ。
そう思うと、心が満たされるのも、とても自然なことのように思えてきます。
こうしてわたしは、自分のために料理をするようになって、いつの間にか自分のことを、とても愛おしく感じられるようになりました。
トースターでパンを焼くだけの朝ごはんを和食にした
以前は、パンを焼くだけだった朝ごはんを和食にしたのは、体のことを考えてのこと。
手間をかけようと思ってやったことではありません。
実際、ものすごく簡単な和食です。
ただ、それでも、パンを焼くだけの朝ごはんよりは、用意にかかる時間も、食べ終わるまでの時間も長くなります。
体のことを考えてのことだったけれど、結果的に、こうして小さな手間をかけることで、心がじんわり満たされていく感覚を、また知ってしまいました。
これは、和食だから、という話ではありません。
パンならパンで、フレンチトーストにしたり、少しだけ手をかけたくなります。トースターで焼くなら、それ以外にもサラダなり、卵料理なりをつけたしたくなる。
(以前は、本当にただパンを焼いて、バターやジャムを塗ったり、チーズを乗せるくらいだった)
そうしないと、どこか物足りなく感じてしまうのです。
わたしは手間をかける価値がある存在なんだ
自己肯定感は、気持ちや考え方だけでつくられるものではなく、自分の行動から生まれる側面も大きいそうです。
自分に手間をかければかけるほど、「わたしは、手間をかける価値がある存在なんだ」と思えて、それが自分を肯定する気持ちをじんわり育ててくれている。
そんなことを、身をもって実感しています。
だから、わたしは自分のためにごはんをつくりたくなってしまうのだと思います。
きっとこれは、ごはんをつくることじゃなくてもよくて、自分が過ごす部屋を片付けることだったり、丁寧にスキンケアすることだったり、何かしら自分に小さな手間をかけてあげることが、自己肯定感を少しずつ育ててくれるのではないでしょうか。
そうやって、自分を雑に扱わない時間を重ねていくと、「ちゃんと大事にされている」という感覚が、あとからついてくる。
それは誰かから与えられるものではなくて、自分から自分へ贈ることができる、ささやかだけれど確かなプレゼントだと思っています。
自分のために料理をつくることで、人生が変わった。
そう言うと、やっぱり少し大げさかもしれません。
でも、少なくとも自分との関係はガラリと変わりました。
その変化が、毎日の感じ方をやわらかくし、日々の選択を前向きなものにしてくれて、結果的に人生に彩りが生まれた。そんな気がしています。

