SNSを続けていると、どうしてもフォロワー数が気になることがあります。
わたしも以前は、数字の増減に一喜一憂していました。投稿するたびにフォロワーが減ると、「何か間違えたのかな」と落ち込み、次に何かを投稿するのが怖くなることもありました。
けれど今は、フォロワー数が減ることを、それほど気にしなくなりました。どうしてそう思えるようになったのか、その理由を書いてみたいと思います。
人はもともと拒絶に敏感
フォロワー数が減るとショックを受けたり、少し悲しくなったりするのは、自分の価値が揺らぐからだと思います。
数字はただの数字のはずなのに、なぜか自分そのものに結びついてしまいます。
「わたしの投稿はだめなんだ」
「誰かの期待に応えられなかったのかな」
「やっぱりわたしって、この程度なんだ」
そんなふうに、たった「−1」という表示だけで、自分そのものを評価しはじめてしまう。投稿の内容ではなく、「わたし」が受け入れられなかったような気がしてきます。
人はもともと、拒絶に敏感です。
仲間から外れることに強く反応するようにできています。
大昔、人は集団の中で生きていました。群れから外れることは、そのまま生きづらさにつながったのです。その名残が、今もわたしたちの中に残っています。
だから、フォロワーがひとり減っただけでも、どこかで「選ばれなかった」と感じてしまう。実際には、ただタイミングが変わっただけかもしれないのに、心のほうは「拒絶」として受け取ってしまうのです。
理屈では大したことがないとわかっていても、心がざわつくのは、そのせいなのです。
フォロワーが減るのは自然現象
フォロワーが減るのは、ある意味で自然現象です。
SNSの多くは、定期的にスパムアカウントや非アクティブアカウントの整理を行っています。自分が何もしていなくても、ある日まとめて減ることがあります。
これは評価の変化ではなく、システム側の調整です。
そして、ユーザーのほうも常に動いています。
アカウントを整理したり、興味の対象が変わったり、気分が揺れたり、こうした変化は日常的に起きるものです。
実際、わたしもフォローを見直すことはよくあります。
そこにあるのは、「今の自分の関心とは少しずれたかな」という感覚だけ。だから、フォローが外れたときも、同じような理由かもしれません。
フォローを外す理由の多くは、発信する人の価値とは直接関係はないのです。
データ的にも「増え続けるアカウント」は、じつは少数派だそうです。多くのアカウントは、緩やかな波を描くように、増えたり減ったりを繰り返しています。
合わない人が離れ、合う人が残るだけのこと
フォローをやめる人は、遅かれ早かれ、どのみちフォローをやめます。
なんとなく違和感を持ちながらフォローしている人は、タイミングの問題で外れるだけ。投稿がきっかけになることはあっても、原因はずっと前からあった、ということも多いです。
そう考えると、合わない人がいなくなるのは、ある意味で好都合です。それだけ、自分の発信を好んでくれている人が、少しずつ絞られていくということだから。そのほうが、無理をしなくて済みます。
全員に合う発信というものは存在しません。
誰かにとって心地よいものが、別の誰かには物足りなく感じられることもあるし、ときには引っかかることもあります。
そして、「離れる」という行為は、受け手側の選択でもあります。
人はそれぞれ、自分に必要なものを選び直しながら生きています。フォローを外すのも、その人の今の選択。そこに善悪はきっとありません。
むしろ、発信がぶれていない証拠とも言えます。
フォロワー数を基準にすると、「減らないように」と考えはじめて、無難な表現を選び、波風の立たない投稿を重ねてしまいます。
そうしているうちに、発信の軸が少しずつ外側に移っていき、自分が何を伝えたいのかより、「どう見られるか」を優先するようになります。
そんなふうに、フォロワーが減るのを恐れて投稿の方向を変えたとしても、きっと今度は別の誰かが離れていきます。
すべての人に合わせようとすればするほど、誰かにとっては「らしくない」ものになってしまうのだと思います。
だから結局、「減らない方法」を探すこと自体が、あまり意味を持たないのではないでしょうか。
なによりフォロワーが減るのを恐れて、発信したくないことまで続けるのは、本末転倒です。それでは、発信そのものを楽しめなくなってしまいます。
ブランドの世界でも、「選ばれる」ということは同時に「選ばれない」ことを含みます。対象が明確になるほど、届く相手は濃くなります。広く薄くより、狭く深く。そのほうが、長く続く関係になるのだと思います。

